当社の歴史

創立時

カールとヴィルヘルム・デュール

1941 (昭和16年) ゲッヒンゲン・カルヴ市(黒い森)出身の兄弟、カール・デュールとヴィルヘルム・デュールがシュツットガルト・フォイヤーバッハに精密機械工場を設立。

1945 (昭和20年) 終戦後、ルードヴィクスブルク市に工場を新設、空気ポンプなどの便利な家庭用品を製造し、「圧縮技術」へと乗り出した。

1946 (昭和21年) 歯科用のハンドピース部品製造により、歯科医療分野に進出。

1947 (昭和22年) 大きな進展:水冷付きハンドピースを初めて開発、製造。歯髄を保護する治療を可能にした。

1949 (昭和24年) ルードヴィクスブルク市を拠点とし、ハンドピースなどのインスツルメント及び歯科医療機器の製造を目指し「K.&W.デュール工業社」として商工会議所に社名登録。

最初の20年間の成果 創立期は、多くの企業と同じく度重なる変革と開発が行われました。シュツットガルト市からルードヴィクスブルク市を経てビーティッヒハイム市へと拠点を移しながら、二人の創設者は、歯科・医科機器のために高度な技術を持ち品質重視の製造会社を築くという彼らの目標へ少しずつ近づいていったのです。

1953 (昭和28年) 歯科医療における初のバキュームシステムを開発-後に患者を寝かせた状態での治療への発展の基盤となる。

1954 (昭和29年) 社屋をビーティッヒハイム市のエッツェル通りに移転。最初の製造工場を設立し、歯科医療機器の開発を続けると同時に発毛促進機器など他のシステムも開発。

1955 (昭和30年) 研削時の唾液や血液、水冷水を連続吸引できる、初めてのキャスター付きバキュームを開発。楽な姿勢での治療が可能になる。

1956 (昭和31年) カボ社のエアタービンを回転させるデュール・オイルコンプレッサーの製造が開始。

1957 (昭和32年) この年の価格表には、すでに研磨器、吊り下げ式モーター、ハンドピースが一体となった小型ユニット(左のポスター「Dürr Kleingerät」)の価格が記載されている。

1959 (昭和34年) モーター、部品や機器の製造工場としてゲッヒンガー・モーター工場(GMD)を設立。

1961 (昭和36年) 業界初のキャビネットに内蔵されたバキュームシステム 「Dürr Puz871」 は、欧州にスプレーミストの吸引を広めた。

精密機械工場の成功 アイディア、アイディア、アイディア。最初の頃は、真面目にコツコツと続ける労働の喜びが原動力でした。シュヴァーベン(南ドイツ地方の人たち)の美徳である勤勉さに加え、領域外の分野へも視野を広げたことが歯科医療製造工業における開発成功への鍵となりました。1960年には従業員数も100人以上に増えています。

出発

1964 (昭和39年) デュールデンタルは、患者を寝かせた状態で座って治療できる可動式バキュームシステム「Orosuc」をヨーロッパに紹介。

1965 (昭和40年) テフロンのピストンリングを使用し、シリンダー潤滑剤なしで作動する初めての歯科医療用オイルフリーコンプレッサーを発表。それまではエアに潤滑油が混入し、補填物を確実に接着することができなかった。デュールデンタルはオイルフリーコンプレッサーにより、接着技術を使った治療への道を開いた。 歯科医が歯周病患者に対し、効果的な予防と治療を提供できる「パラデントスプレー」を発表。

1966 (昭和41年) 吸引システムの除菌・洗浄のための商品「オロトル」が発表され、ハイジーンシステム提供のスタートとなった。

1968 (昭和43年) シーメンス社のために開発された初めての全自動レントゲンフィルム現像器「プロコマット」で、開発から製造までが実現。

1969 (昭和44年) 「デュール・セントラルバキュームシステム」の発表により、複数の治療室やユニットを持つ現代風の歯科医院のために吸引システムを提供。

1970 (昭和45年) 会社組織を変更し、DÜRR DENTAL GmbHとして登記。

1971 (昭和46年) 北米での成功の先駆けとなった始めてのオイルフリーコンプレッサー発売。

続く20年の成果 オイルフリーのコンプレッサーやバキュームシステムが大成功を収めたことに伴い、歯科医療業にはっきりと経営の焦点を絞ったのが、この期の特徴です。 さらに、業界での重要な責務であるシステムの衛生管理とレントゲンフィルムの現像器開発にも着手しました。また70年代の好景気はゲッヒンゲン市の製造拠点の設立やアメリカ合衆国への進出、そして初めての海外支社をフランスに設立するのを後押ししてくれました。

1972 (昭和47年) デグッサ社用に製造された真空パック用機器「Multivacマルチバク」の開発・製造によりデュールのラボ用製品が成長。

1973 (昭和48年) ゲッヒンゲン市内で工業を移転し、生産能力が拡大。合衆国では、ロングアイランドに「エンジニアリング・デンタル・インダストリー(EDI)」の名前でコンプレッサーの製造工場が完成する。

1974 (昭和49年) デュール・コンプレッサーによる歯科用エアのクオリティがさらに向上。高価なタービンハンドピースを酸化から守り、タンク内での細菌繁殖を防ぐデュールのエアドライヤーが世界的に普及した。

1975 (昭和50年) 『デュールデンタルに切り替えよう』が合言葉に。全ての歯科用撮影フォーマットに対応した全自動のレントゲンフィルム現像器「1330」が新発売。

1976 (昭和51年) デュールが発表した最初の分離器は、吸引した空気から粒子や固形物を取り除き、自動洗浄するものだった。

1977 (昭和52年) 欧州市場戦略の一環として、パリのデュールデンタル・フランス支社設立。初めての直系海外支社となる。

1978 (昭和53年) 合衆国における活動の変換を受け、その基盤づくりとしてニューヨークのヒックスビルにジョイントベンチャーであるエアテクニクス社を設立。

1981 (昭和56年) 業務領域への分離多角化と拡張が進み、デュールデンタル社は主に圧縮エアとプロセッサー、デュールテクニック社が特殊産業で使用するポンプとコンプレッサーを製造。

業界をリード

歯科医療業界での成功技術革新によって歯科医療上の問題を解決し、国境を越えた業界全体において指導的役割を担うことはひとつの目標地点でした。デュールデンタルは歯科医療の進歩を後押しし続け、今日では院内機器、診断、保存の歯科学、院内と技工室の衛生管理の分野でもその実力を示しています。各市場からの高い要求に応えるべく世界中の優秀な販売代理店の協力を得て、2001年もデュールデンタルの目標に向けて当時全社800名以上の従業員の努力は続きました。


1982 (昭和57年) 現在の社屋所在地であるビーティッヒハイム・ビッシンゲン、ホッピングハイマー通り17番地に移転。 歯科用レントゲンフィルム全てのフォーマット対応の全自動現像器「デュール1416」を発表。 それまでは内蔵部品を主に製造してきたが、「デュール・マニフォルド」の発売によって、デュールデンタル社の製品が表舞台に登場。このマニフォルドを使うことで吸引がしやすくなり、歯科医と助手の共同作業も容易になった。

1983 (昭和58年) ドイツ製「ハイデント」:ゲッヒンゲン市で自社製の基板製造に乗り出す。

1986 (昭和61年) 「とにかく合理的、とにかく安全」:治療室や技工室での的を絞った除菌・洗浄ができるデュール・ハイジーン・システム。体系的に構成された製品項目からなっている。

1987 (昭和62年) 環境にやさしい技術開発への強い社会的責任という立場から、アマルガム・重金属分離器「AZ100」を発表。

1989 (平成元年) リフティングバス技術を取り入れた初めての自動現像器、デュール「XR24」をIDS(国際デンタルショー)にて発表。この技術により、ローラー上で現像・定着液が結晶化するのを防ぎ、長期間高画質を保てるようになった。

続く20年間の成果 デュールデンタルが世界の歯科医療業界をリードする役割を勝ち取る原動力となったのは、歯科医療における様々な問題を解決するための開発でした。常に新しい開発を行うことで、市場動向に左右されることなく、目標を定めた多角化へと向かうことができました。この時期、経営における輸出部門が徹底して強化されました。 世界中の歯科医療機器業界における成長の機会を探し、各市場に合わせる戦略が取られました。

1990 (平成02年) デュール・コンビセパレーターはユニット内に収まるほどコンパクトでも、吸引された空気と汚水から分泌液や固形物を効率よく分離し、危険なアマルガムや重金属を取り除けることを証明した。

1991 (平成03年) デュールデンタルは創立50周年を祝い、大規模なパーティーを開催。ビーティッヒハイム市の石造りの陸橋にて全従業員と国内外の取引先を迎えて記念祭が行われた。

1991 (平成03年) デュール「パワータワー」は場所を取らずに高性能:院内のコンプレッサーとバキュームシステムが、60cm四方で防音の「パワーセンター」に集約された。

1993 (平成05年) デュール「VS300」コンビ・バキュームモーターが全く新しい技術として登場。初めての分離器内蔵のバキュームモーターで、後にアマルガム・重金属分離器も内蔵した「VSA300」がコンパクトなユニットの中に集約された。モーターと分離器がひとつのシャフトで作動(ダイレクトドライブ)。

1995 (平成07年) 「一枚の写真は千語に勝る」。口腔内カメラ「ビスタカム」は診断の可能性を広げ、歯科医師と患者のコミュニケーションに変化をもたらした。モニターがユニットに近づき、デジタル画像が診断を補助。これにより、デュール製品に新しくデジタル画像情報システムという領域が築かれる。これと平行して、ゲッヒンゲン市の工場ではクリーンルームにおいて口腔内カメラのレンズやハンドピースが製造されるようになる。

1997 (平成09年) デュールのCCDセンサー「ビスタレイ」の発表により、口腔内レントゲン撮影においても、画像情報をデジタル化して読み取るれるようになり、X線照射量の大幅な軽減が可能となった。

1999 (平成11年) ケルンの国際デンタルショー(IDS)において、デュールデンタルはガラス張りの診療室を会場に設置し、その中で新製品「Vector」(ベクター)を使用したライブ治療を行った。「Vector」は歯周病の原因に着目して痛みの少ない治療と予防を行う特別なスケーラーである。3月、日本のお客様へのよりよいサポートのご提供を目指し、東京に日本オフィス開設。

2000 (平成12年) ミレニウムに際し、デュールデンタルでは「ビスタ・フューチャー/歯科医院のための新展望」という小冊子の中で、デュールデンタルの画像情報、予防、治療システムを紹介した。

改革のパワー

2002 (平成14年) デジタル画像診断に新しいハイライト:歯科用IPスキャナー「デュール・ビスタスキャン」を発表。最高の画質を守りながら、その読み取り速度と使い易さにおいてレントゲン撮影に全く新しい基準をもたらす。

2003 (平成15年) デュールデンタルは大型歯科医院の管理企画部門を設立。ここでは、個々の医院におけるエアと吸引システムがプランニング、設置、整備される。バキューム&エアシステムなどの新しい技術は、歯科医院の吸引システムにおいて培った50年以上におよぶ実績を踏まえて完成した。世界中の大学病院が顧客だが、その中でもマドリッドのホアン・カルロ大学病院には弊社により320以上のユニットにエアとバキュームの供給がなされた。

最近の成果 世界の歯科医療機材市場が合併してゆく中で、デュールデンタルのように独立した企業として経営を続けていくことは、大きな挑戦と言えます。この厳しい競争の渦中にあって独自の目標を達成してゆくには、企業の開発能力はもちろん、市場における存在感を示すためにも絶え間なく投資し続けることが必要です。そのためにもデュールデンタルはヨーロッパ各国に支店を設立することで経営を強化し、さらなる支店の設立でアジアにおける新たな市場を開拓しています。

2004 (平成16年) 流体動力学を応用した根管治療用ハンドピース「リンセンド」で、デュールデンタルは歯内療法の根幹治療においてもその地位を固め、保存の歯科学へと的を絞った動きが明確となる。

2005 (平成17年) ケルンでの国際デンタルショー(IDS)に於いて、デュールデンタルは“In Touch with Progress”をテーマに、かつてないほど広範囲で充実した内容の展示を行う。全部で5つの製品部門-コンプレッサー、バキュームシステム、予防歯科、画像情報システム、そしてハイジーンシステム-これらの市場をリードする革新的商品で、世界中から訪れた人々の要求や関心に応じた。
デュールデンタルの革新力の最近の一例は、初めてのフル・デジタル口腔内カメラ「ビスタカム・デジタル」である。このカメラは編集機器などの装置なしで、鮮明な色彩の高画質画像を直接パソコンに取り込む。同じくデンタル用CCDセンサー「ビスタレイ」は、少ない照射量で非常に鮮明な画像を得ることができる。

2008 (平成20年) デュールデンタルは有限会社から株式会社となり、オロケミー社、デュールオプトロニクス社、米国のエアテクニクス社を100%買収、デュールデンタル・グループを形成。